ちょうど1年前の2007年3月21日,コンピュータ将棋プログラム「ボナンザ」と渡辺明竜王が公開対局を行ないました.*1 本書は,そのボナンザの開発者とそれと対戦した将棋棋士がそれぞれ綴り,あわせて対談を行なった「内幕本」です.
もっとも,片やコンピュータプログラム,片や将棋のトッププロですから,内幕と言っても,センセーショナルな事実が語られているわけではありません.虚々実々の駆け引きもありませんし,将棋界の面子にかけて負けられないプレッシャー(はもちろんあったでしょうが)に押しつぶされそうになったが,妻のひとこと(もしくは幼子のあどけない笑顔)に救われたなどという,読者の胸を打つエピソードもありません.きわめて淡々としたものです.
代わって,本書はプログラマ,棋士,それぞれの立場からの将棋そのもの(ひいては思考そのもの)への洞察が書かれています.
ご存知でない方のために背景説明を一応しておきますと,チェスの世界ではコンピュータプログラムの強さはすでにトッププロと互角,または凌駕していると思われています.考慮しなければならない指し手がチェスに比べると飛躍的に多い将棋でも,その実力はトップクラスに近づきつつあり,この対局の前にすでに何回か将棋のプロ棋士を相手に勝利を収めたことがあります.*3
将来的にはチェスと同じく将棋でも,コンピュータの実力が人間のそれを上回ることは容易に予想できますが,それが近い将来のことなのか,それともかなり時間がかかるのか,人によって見解が異なります.コンピュータプログラムがトップ棋士の実力に迫りつつある現在は,傍目からすると一番面白い時期だと言えるでしょう.その「断片」を当事者が切り取って見せた本書はある意味,他に類例がないユニークな本であると思います.
ところで,ボナンザというプログラムは実はフリープログラムで,ネットから簡単にダウンロードして対戦することができます.*2
私自身ももう何100回となくやっていますが,一度も勝ったことはありません.まあ,竜王と対戦するようなプログラムに,一番強いときでも初段に届くか届かないかだった私クラスが勝てるわけはありません(でも「森田の将棋」には負けなかったんですよ,ってショボい自慢してどうする?).
将棋や囲碁を語ることの難しさは,対戦者が選ぶその指し手の意味を,実力において劣る観戦者が正確には理解できないことにあります.その意味では,この「世紀の対戦」を「解説つき」で見ても,当事者たち(含むプログラム)の真意を想像するのは,私には容易ではありません.おぼろげながらの印象を受けるだけです.
しかし,そういった「肝」の部分がわからなくても,本書はさまざまな「発想」を刺激してくれる示唆に満ちた本です.
私にとって本書で一番面白かったのは,プログラマが当然ながら「プログラムの人間性」を否定しているのに,対戦している側はプログラムの指し手から「人間らしさ」を感じてしまうところです.
「我慢して」受けに徹するとか,「怒って」反撃するとか,相手の嫌がる手を指すとか,あたかもコンピュータに感情があるかのような「錯覚」を起こしてしまう,昔,ネット上で「人工無能」なんてプログラムが流行ったことがありましたが,それを思い出してしまいました.
コンピュータの指し手が「人間らしい」のではなく,論理の積み重ねであるプログラムに対して「人格」を投影してしまう対戦者の方こそが「人間らしい」のだと思います.それはもちろん「誤解」であり「幻想」であり,場合によっては避けなければならないものでもあるでしょうが,一概に否定すべきものとは思えません.
「物語」はその「幻想」の上に花咲くものでもあるのです.
*1 狙って記事にしたわけではありません.いや,ホント!
*2 将棋と比べてもまた一段と選択肢が多く,一手の価値を計算しにくい囲碁のプログラムはまだまだ試行錯誤の段階のようです.
*3 ただ,ネットで流通しているプログラムとまったく同じものが渡辺竜王と対戦したかは不明です.しかし,強さにおいてはそれほどの差異はないものと思われます.
もっとも,片やコンピュータプログラム,片や将棋のトッププロですから,内幕と言っても,センセーショナルな事実が語られているわけではありません.虚々実々の駆け引きもありませんし,将棋界の面子にかけて負けられないプレッシャー(はもちろんあったでしょうが)に押しつぶされそうになったが,妻のひとこと(もしくは幼子のあどけない笑顔)に救われたなどという,読者の胸を打つエピソードもありません.きわめて淡々としたものです.
代わって,本書はプログラマ,棋士,それぞれの立場からの将棋そのもの(ひいては思考そのもの)への洞察が書かれています.
ご存知でない方のために背景説明を一応しておきますと,チェスの世界ではコンピュータプログラムの強さはすでにトッププロと互角,または凌駕していると思われています.考慮しなければならない指し手がチェスに比べると飛躍的に多い将棋でも,その実力はトップクラスに近づきつつあり,この対局の前にすでに何回か将棋のプロ棋士を相手に勝利を収めたことがあります.*3
将来的にはチェスと同じく将棋でも,コンピュータの実力が人間のそれを上回ることは容易に予想できますが,それが近い将来のことなのか,それともかなり時間がかかるのか,人によって見解が異なります.コンピュータプログラムがトップ棋士の実力に迫りつつある現在は,傍目からすると一番面白い時期だと言えるでしょう.その「断片」を当事者が切り取って見せた本書はある意味,他に類例がないユニークな本であると思います.
ところで,ボナンザというプログラムは実はフリープログラムで,ネットから簡単にダウンロードして対戦することができます.*2
私自身ももう何100回となくやっていますが,一度も勝ったことはありません.まあ,竜王と対戦するようなプログラムに,一番強いときでも初段に届くか届かないかだった私クラスが勝てるわけはありません(でも「森田の将棋」には負けなかったんですよ,ってショボい自慢してどうする?).
将棋や囲碁を語ることの難しさは,対戦者が選ぶその指し手の意味を,実力において劣る観戦者が正確には理解できないことにあります.その意味では,この「世紀の対戦」を「解説つき」で見ても,当事者たち(含むプログラム)の真意を想像するのは,私には容易ではありません.おぼろげながらの印象を受けるだけです.
しかし,そういった「肝」の部分がわからなくても,本書はさまざまな「発想」を刺激してくれる示唆に満ちた本です.
私にとって本書で一番面白かったのは,プログラマが当然ながら「プログラムの人間性」を否定しているのに,対戦している側はプログラムの指し手から「人間らしさ」を感じてしまうところです.
「我慢して」受けに徹するとか,「怒って」反撃するとか,相手の嫌がる手を指すとか,あたかもコンピュータに感情があるかのような「錯覚」を起こしてしまう,昔,ネット上で「人工無能」なんてプログラムが流行ったことがありましたが,それを思い出してしまいました.
コンピュータの指し手が「人間らしい」のではなく,論理の積み重ねであるプログラムに対して「人格」を投影してしまう対戦者の方こそが「人間らしい」のだと思います.それはもちろん「誤解」であり「幻想」であり,場合によっては避けなければならないものでもあるでしょうが,一概に否定すべきものとは思えません.
「物語」はその「幻想」の上に花咲くものでもあるのです.
*1 狙って記事にしたわけではありません.いや,ホント!
*2 将棋と比べてもまた一段と選択肢が多く,一手の価値を計算しにくい囲碁のプログラムはまだまだ試行錯誤の段階のようです.
*3 ただ,ネットで流通しているプログラムとまったく同じものが渡辺竜王と対戦したかは不明です.しかし,強さにおいてはそれほどの差異はないものと思われます.
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